皆様こんにちは。
司会の猪原と申します。
茶華道を通じて日本文化に接する機会が増え
書、絵画、陶芸等の美しい芸術に触れるうちに、
「余白の美しさ」に魅かれるようになりました。
例えば、数本の花や枝で構成される茶花の周囲には空間が生まれます。
その余白には何とも言えない美しさが宿され、
見る人の感性や心の在り方に訴えかけるようで、
言わば生けたと見る人の共同作業で
一つの作品が完成するような感じでしょうか。
実は、私達が日常生活で使っている言葉にも
同様に「余白の美しさ」が存在します。
言葉で表現する時、
「多くの言葉を流暢に上手く話さなくてはならない」
と思われる方も少なくないと思いますが、
必ずしも多弁が雄弁であるとは限らないのです。
「手紙を代わりに読んでもらえませんか」とご相談されることがあります。
ご要望であれば、喜んでお手伝いさせて頂きます…
が、行間に込められたその方の思いまでを読み取ることは、
想像の範囲でしかできないのです。
「あの時のことを覚えていますか」と新婦様がおっしゃった時、
ご家族にとっては、「あの時」の場面や空気、感情等、様々なものが
心に去来することでしょう。でも、その空気や感情といった、
見えないものを伝えることができるのは、ご本人だけなのです。
感極まって言葉に詰まっても、涙で沈黙ができても、
その静寂は決して気まずいものではなく、
そこには、むしろ言葉では表現できない美しさが存在し、
静けさの中に聞く人それぞれの思いが交錯します。
芸を極めた音楽家や役者ほど「間」を大切にすると言いますが、
この余白に存在する思いの中にこそ、
多くのメッセージが込められているのではないでしょうか。
嗚咽で話すことができなくなった時、少し長めの沈黙の後に出た
心からの「ありがとう」は、最高の輝きを放って大切な方の心に届きます。
そして、勇気を出して話された後に、大切な方のお顔をご覧ください。
言葉で表現せずとも、あなたはその方の思いを感じ取れるはずです。
そして、心が通い合った思い出は
心の宝石箱の中で永遠に輝き続けることでしょう。
あなたにしか表現することのできない気持ちを行間の余白に込めて、
大切な方へお伝えになりませんか。
